おもしろきこともなき世をおもしろく

見たり聞いたり行ったり思ったりそんな事を綴り〼。

死の淵からの生還・後半

前回、右視床出血という生命に関わるような重大な病気を発症しまして、その事柄をつらつらと書きましたが、いやそもそもこの病気の要因というものは風邪や腹痛と違って、長年の不摂生や長く積み重ねられてきたストレスによるものが病原理由かな、と思われます。

 

ま、私の場合は家庭内で色々とありましてまあほんとに色々とね、ええ、ここでは書けませんけども本当に色々とね。

 

まま、それはおいといて~。

実際倒れて病院に担ぎ込まれてなんじゃこりぁ~状態になった訳ですが、その時の記憶が今ははっきりと思い出されています。

当時はちょっと今思い出すと笑いがこみあげてくるような状態でした。

脳の中というか思考が非常にクリアになった感じでした。無駄な思考が一切ないのです。人間は物事を考える時にひとつひとつの事柄が常に1本の糸のような物で繋がっていて、それは時に複雑に絡み合ったりこんがらがつたり、それをきちんと整理しながら考えたり、折り合いをつけてゆくと思うのですが、そういう事を一切出来なくなるんです。逆に病院のベッドの中で自分の考え、思考というものが至極まともであって自分はこんなにも物事を理路整然と考える事の出来る天才かも知れないとか思ってました。

ほんとに笑ってしまいますけども。(赤面

 

さて、右視床出血という事でざっくり言うと脳が壊れてしまった事で今まで普通に出来ていた事が若干出来なくなりました。こういう事が自分の身に起こると結構センセーショナルです。最初の1週間、集中治療室で日長一日もぞもぞしていました。退屈で死にそうなのと不定期に襲ってくるかすかな脳の痛み。鬱になるぜー。

私が集中治療室から出られなかった理由のひとつに血圧が下がらないというのがありました。血圧の上が140切らないとダメ。その間はリハビリテーションも許されないようです。1度、脳の血管をパァァァアアァアーーーーーンンッッと大爆発させた事で血管が非常に脆くなってしまっているからだと聞きました。簡単なリハビリは少しづつ受けてはいましたが本格的なのはなかなか始まらなかったのです。だからめっちゃ退屈。

1週間ほど我慢して4人部屋に移ってもいいよ〜と看護師のお姉さんに言われた時は嬉しかった。

やったーこれでちょっとは人並みに過ごせるかも知れない。それからの生活は不謹慎かも知れませんが結構楽しかった。

リハビリテーションには理学療法作業療法、言語聴覚療法の3種類。

なにより娘が毎日様子を見に来てくれたので退屈しないで、また会話等もリハビリのひとつになるよと言う事で非常に有意義に過ごせました。あとスマホとかパソコンとか持ってきてもらったのもよかった。スマホもパソコンも最初は文字を打つ動作に頭がなんだかはち切れそうな訳のわからない感じに陥ったりしてちょっと危ない感じがしましたが大丈夫でした。ただパソコンの文字入力が怖かった。キーボード入力が出来なくなってる。はぁああぁあ〜〜〜〜?!って感じ。頭を抱えるとか頭を掻きむしるとかそんな感じになりました。

そう、たとえば「ぁ」、「ゃ」、「ぃ」等の小文字を打つのに私はローマ字入力なので「ぁ」の場合ならばXとAを打ち込むというような感じです。しかしこれがまったく出来ない。出来ないというよりは打ち方がわからない。驚愕です。ひぃぃぃいいいっ、やっぱり脳味噌壊れてるじゃん!!!!!

今まで普通に出来ていた事が出来ない。忘れているというよりは全然わからないという感じ。結構落ち込みました。しかしそんな事くらいで落ち込んではいられないので気を取り直して他のリハビリにも励みます。

理学療法士の先生(女の子)に「わーこんなん出来ないわーでもやってみよ」って言ってそれができちゃうから凄いですねぇ、って笑いながら言われた時はちょっと嬉しかった。作業療法士の先生(クールビューティ)は退院する時に「私の癒しなんですよ」って言ってくださった。言語聴覚療法士の先生(登場の仕方がいつもフレッド・アステア)は私が「脳出血で倒れて入院する事になったけど、病気の治療はここまで、ここから先の治療はリハの先生の仕事で、たぶんきっとこれは凄く大切な治療だと思うんです。」と言ったら凄く感動されていた。

 

まあそんな感じで大変だったけど私は今日も生きてます。

みんな、ありがとう。