葛城氏と鴨族、天津神・国津神、そして土蜘蛛
今日は奈良のパワースポットに行ってきました。
そもそもパワースポットってなんて言い草でしょうか。罰当たりの感すら否めません。
私はあまり好きじゃあありませんよ。
とか言いながら先ずはひとつだけお願いを叶えて下さるという「一言主様」の神社へ。
ここの神社は不思議。
県道からそれてこの鳥居の道に入った途端、あ、なんか違うなという感じになりました。なんだろう空気感かなあ。
鳥居をくぐってすぐのところに蜘蛛塚なるものを発見。
これあの八本足の蜘蛛の事ではないんですよ。
ああ美しい。まさに神の住まう場所と言った感じ。
樹齢1200年と伝えられる銀杏の木。
さて、一言主さんにお別れを告げて次の参拝先である高天彦神社に向かいます。
参道のそばにある梅の木。
鴬宿梅(おうしゅくばい)と言います。
梅の季節はもう終わってしまっていたので残念ですがこの梅に鶯がいて鳴けばさぞ素晴らしい光景でしょう。
高天彦神社入口の杉の木です。
ここに天津神が降り立ったという伝説があります。
高千穂とかどうなるの?他に京都の山奥にもそんな伝説があります。
相変わらず写真撮るのが下手。
歪んで撮れてます。
あの向こうの社が高天彦神社の境内となります。
一説には高天彦ではなく高天原神社ともいうそうです。
そして三つめのパワースポットへ。(言うてるやん
高鴨神社です。
鴨と聞いてピンときた方は通です。
京都の上賀茂神社、下鴨神社はどうやらこの高鴨神社から派生した神社のようです。
三つの神社を巡り写真だけは闇雲に収めてみました。
家に帰ってからインターネットを駆使して色々と調べ倒した結果、私なりにたどり着いた結論は神武天皇は実在したんだろうという事でした。
古事記や伊弉諾、伊邪那美の話は大好きですがさすがに現皇室の祖先が天照大御神だというのはないないと思っています。
それに沿って何世紀まで巨大な古墳〈墓)のない大王(おおきみ)については創作であり、故に初代天皇・神武についてはそんな存在はないものだと思っていました。
しかしどうやらそのモデルになるべき人物は確かに存在しその人が現皇室の源流なのではないのかと思えてきました。
先に書いた【土蜘蛛】はこの辺り一帯の土豪たちの総称で彼らは自然を信仰しそれなりに秩序があり幸せに暮らしていたのではないかと私は考えます。
そこに新たに入ってきた新しい勢力(神武天皇のモデルとされる勢力)と元々いた固有民族と(土蜘蛛と呼ばれる葛城族または鴨族)がうまく折り合わなかったのでしょうか。
新しい勢力→天津神〈現皇室)
こういう事なのかな?
図解で示せばもっと色々な広がりが見えてくると思います。
日本の歴史は奥が深くて。
勿論、本当の歴史と創作が微妙な塩梅で混じり合った部分も多少はあるでしょう。(無理ない程度にね
ただ、どこの国にもあった先住民族と新たな勢力の争いというものは歴史の闇に葬り去られる事が常であるのに、人々の語らいや風習の中にそれを忘れじと思い留めてまた伝えてゆく事によって後世の人々の教えになったり知恵になったりする。
面白いなあと思いました。
こんなに長い歴史が残っているのは日本が地形的に恵まれた場所に位置していたからなのかも知れません。
次はどこに行こうかなあ。
関ヶ原とか行きたいなあ。