大坂の陣から400年という事で大阪城に行ってきた。
大坂の陣から400年という事で大阪城に行ってきました。
下の図は大阪城を上から見た地図です。
Googleさんですありがとうございます。
南外濠から石垣を望む。
あれー大阪城の濠ってこんなに大きかった?
大阪に住んでいて大阪城がある事が当たり前の事だったのでちゃんと知っていませんでした。
大阪城が一体何なのかを改めて感じるレポートになりそうです。
日陰を選びつつ進む。
そして裏から豊国神社へ。
【とよくに】ではなく【ほうこく】と読むそうです。
前の日にウィキペディアで調べました!(鼻をふくらませながら
おっ!太閤さん!
おお、なんかかっけえええええええ~♪
ご朱印帳に書いてもらってる間に本殿でお参りです。
豊国神社は出世などのご利益があるそうなのでお参りを。
大阪に住んでいながら豊国神社に参るのは初めてです。
お参りを済ませ桜門からいよいよ天守方面へ。
桜門を越えてちょっと行ったところに有名なたこ石。
たこの形をしているとかなんとか。
この石の事は知ってましたよ。
でもだから何だっちゅー感じですけどね。
旧第4司令部です。
かっこいー。
今はレストランです。
その前は博物館だったようでさらにその前(戦時中)は軍隊の司令部だったそうです。
暑かったので中でちょっと休憩したのですが冷房が効いてなくて。
第4司令部の横にパネルが展示されてまして秀吉時代の大坂城と徳川時代の大坂城の図が並べて説明されていました。
大阪人としては徳川時代の大坂城はなんか生理的に許せないのですが、私がこれから向かう大坂城は徳川大坂城なのです。
あああ~ん、複雑。
はい、徳川大坂城です。
むむ、悔しいけどやっぱり圧倒される。
その大きさとその荘厳さ。
大坂城内は博物館みたいな事になっていて入場料とか言って600円も取られた。
中はほとんど撮影禁止で残念だったけどこの合戦の模型は撮影OKだったのでパチリ☆
真田幸村、大介親子です。
かっこいいいいい。
天守閣から西方向。
北方向。
東方向。生駒山が見えるー。あの向こう側が奈良です。
そして南方向。
この方向に真田幸村が真田丸という出城を作ります。
来年の大河です。
やっぱりかっこいいな、でかいし。
天守閣の北側にひっそりと人目に知れないような場所に淀殿と秀頼君の墓がありました。
静かに手を合わせ二人の冥福を祈りました。
極楽橋。
極楽橋から天守を望む。
大坂の陣から400年という事で今回地元の大阪城を訪れてみました。
かつて幼少の頃訪れた際の大阪城の中は今のようにエレベーターなどなく、彦根城にあるような急な階段のままでした。
落ちそうで怖かった事を覚えています。
復元した大阪城は秀吉の作った黒塗りのいかつい城ではなくて緑色の屋根瓦の優しい美しい佇まいです。
物足りない!
夏の陣の直後、大坂の町は関東軍の雑兵どもにめちゃくちゃにされたそうです。
その様子を描いた屏風(黒田長政命によるもの)の複製が博物館の中にありました。
痛々しいものでした。
雑兵の悪行を家康自体どう思っていたのでしょうか?
『ばか者どもがどんでもない事をして』だったのか『まあ、いたし方ない、しかしこれで徳川に刃向かおうとするものの戒めになるだろう』なのか。
誰も知りえない事ですが私は家康はやむなしとしたと思います。
私が徳川家康をいう人間をいまひとつ好きになれないのはそうだろうと思う心があるからなのかも知れません。
それにしても大阪城、広すぎ!
足ががくがくです。
ここ数年本当に中国韓国からの観光客が増えました。
以前は白人がチラホラぐらいで比較的ひっそりした場所だったのですけどね。
いいんだけど、トイレがー。
何故使用済みトイレットペーパーをトイレに流さないで汚物入れに入れるの?
ちゃんと書いてあるじゃん!!!
これだけはちょっと信じられないので改善してほしいわ。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪花の事は 夢のまた夢
~豊臣秀吉 辞世の句~
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