淀城と淀古城
梅雨空の空気の重い土曜日の昼下がり。
ちょっと淀まで出かけてみました。
駐車場に車を停めて淀城の石垣を見る。
手前の物凄くお手製の感じのするミニチュアのお城は淀城ですか?
誰が造ったのか謎です。
淀城方面へ歩いてゆくとなにやら曰く有りそうな神社。
與杼(よど)神社です。
っていうか結構な由緒の正しさで有ります。
「!」
「
「!!!」
これはなんとも不思議なしきたりですよ。
このようなしきたりの神社に出くわしたのは初めてでございます。
「!」
「!!!」
あっ、こっち見てる。
かわいいなー。
どうやら近所の野良猫様のようです。
豊玉姫命様じゃないの?
そもそも淀城、私は淀殿が住んでいた城だと漠然と思っていたのですが淀には城跡が二つあってひとつは確かに淀が住んでいた城なのですが、もうひとつは全然違う人の城でした。
この淀城は淀殿のおじ様・織田信長を討取った明智光秀が家臣・斎藤利三の娘・おふく(後の春日局)の夫筋・稲葉家の居城だったのでした。
ややこしいな。
朝鮮通信使の事が書いてある。
朝鮮通信使と聞いて私の頭の中で再生されるのは鳥を盗んで町人と揉める朝鮮人を描いたこの絵。
これしか思い浮かばない。
明治天皇がこちらへお越しあそばされました。
最近石垣フェチです。
さて、ここまできたら淀古城(淀殿が住んでいた城)も見ておかねばと思い宇治川の川沿いをてくてく歩き千本通もてくてく歩き、Googleさんにも手伝ってもらいながら淀古城を探しました。
当然天守らしきものはなく(もともと平城?)妙教寺というお寺に石碑があるのみだったようです。
視線の先にあるのが妙教寺です。
ちょっと見せて下さいとお声かけしようとしましたがなんとなく気おくれしてしまい断念しました。
歴史上、淀殿は悪女、毒婦などと叩かれていますがはたして実際はどうだったのでしょうか?
天下に名を轟かせた織田信長の血を引き母であるお市の方譲りの絶世の美貌。
天下人・秀吉の側室にあえてなったのは織田家や浅井家の再興を願う思いからなのかも知れません。
とはいえ、万福丸の首をはねたのって秀吉なんだけどね。
さて恒例(?)のお菓子紹介。
淀という名のお菓子を購入致しました。
淀殿に思いを馳せてパクッ★