おもしろきこともなき世をおもしろく

見たり聞いたり行ったり思ったりそんな事を綴り〼。

原民喜という作家

私のそのいい加減な記憶では、高校の頃に国語の教科書にその話は載っていた、とそういう記憶だったのだが高校の教科書に載っていたのは井伏鱒二の黒い雨だった。井伏鱒二の黒い雨ということで原爆を題材にした作品である事はお察しでありましょう。だが確かに高校の教科書に載っていた。おそらくは学年違いで載っていたのであろう。もしかしたら中学時代だったのかも。井伏鱒二原民喜も確かに教科書に載っていたのだがどっちがどうなのかをすっかり忘れてしまっている。

 

この原民喜という、知っている人には感銘高く知らない人にはその人誰なの?という感じであろうが、その文章文体雰囲気はどこか懐かしく心の奥がちくちくでもひゅんひゅんでもなく、くすぐったいような痛いような感覚で私の傾倒するそれであるのだ。

 

夏の花

 

これが原民喜の書いた私の探していた当時の広島の惨劇を綴った本でした。

 

おそらく30年以上も前に出会って読んだものであるにも関わらずその描写のひとつひとつを何故か驚くほど鮮明に覚えているのです。それはおそらく体験したこの作家でしかわからない本当の悲劇の爪痕がむごたらしくしかし正確に文章として描かれていて、私自身そこの場所にいた事もないのにそこにいてその光景を見ていたような感じすらする、そうだからでしょうか。

 

話は脱線しますが、私の父は戦時中広島の尾道因島という同じ広島県でありながらも爆心地からはかなり離れた所に住んでおりましたために、原子爆弾の実際の被害を受けるというような事はなかったようです。しかし8月6日の翌日から学校の校舎には続々と被害者が運び込まれ、彼等のその様、そしてなんとも言えない強烈な臭いに気絶しそうになったと語っていました。亡くなった祖母の話ではいつも郵便配達にやってくるその人が広島市内からのあの光の塊を遠巻きに見た後、肩にかかった灰を払ったそうで「でぇれー爆発じゃったわ、遠くに離れとったもんではぁ助かったわ」とか言いながら1ヶ月ののちに体中から出血して死んでしまったと言っておりました。そんなもんで当時の被爆された方々の様子については幼い頃から祖母によく聞かされていました。目玉が飛び出してたとか心臓のあたりにぽっかり穴が開いて死んでたとか、体中の水分が全部抜けてからからになってしまい出血した血がどす黒く光って見えたとか、そんな状態を理解し把握する事がまったく出来ずひたすら凄く怖い事があったんだな、という漠然としたどこか無責任な逃げの感情みたいなものが心の中で燻っていました。

 

祖母の昔語りと原民喜の書き残したものが私の知りうる惨劇の光景であり、ふたつともが何故か不思議とオーバーラップするのです。

 

昨今の思想家たち、左翼にしろ右翼にしろ、何か大切な事を忘れているのではないでしょうか。

 

静かに語りかけるようにそっと頬にふれるような優しいそのことのはたちは、悲惨な現実を記しているのにも関わらず私の心を捉えて離さないのです。色々な作家が書くものがどこか自慢気であったり、自分の知性学歴をひけらかすように感じるのに対して心の奥に語りかけるように、静かにけれども確かに深く深く入り込むような忘れられない懐かしさ。

 

もしも機会があるのなら原民喜の原爆文学に目を通してみてください。